作曲の練習法/上達法
作曲の練習に一番いい方法は、即興で作曲することである。何の準備もなく、いきなり鼻歌で歌い初めて、そのまま五分から十分の間、まったくとぎれずに即興で作曲し続けること。初めは非常に苦しいだろう。次の旋律が出てこなくて途中で詰まることもあるだろう。しかし数週間もすれば慣れて来て(私は二週間ほどかかった)、自分がやめようと思うまで何十分以上も全く途切れずに旋律を紡ぎ出すことが出来るようになるはずである。そのうち一日中頭の中で自動的に即興の曲が鳴り響き続け、自分でうるさいと思うようなことにもなるであろう。もし読者の方が学生の身であれば、つまらない授業の間はずっと即興で作曲し続ける、なんてことにしたら、いい暇つぶし兼作曲の練習にもなるのではないだろうか。
次に色々な曲調の練習を試してみる。速い曲、遅い曲、三拍子の曲、それぞれに練習が必要であり、それぞれに初めは困難である。即興作曲に熟達すれば、五拍子の曲を即興で作る、などということも余裕を持って出来るようになる。
この練習によって、旋律に最も必要であり、美しい旋律の基本でもある、「自然さ」が身に付くようになる。即興作曲では、下手な作曲家にありがちな「奇抜な」旋律で何とか面白い旋律を作ろうとかいう浅はかなことを考えている余裕などない。次の旋律と、それがそれまでの旋律との構成との間で不自然なところがないかどうかを検証しているだけで精いっぱいになり(何しろ今作ったばかりの曲を鼻歌で歌いながら同時に次の旋律を考え、同時に曲の構成との整合性や同じような旋律ばかりでてはいないだろうか、などと考えるのだから、下らないことを考えている余裕などない)、必然的に奇抜な発想は意識の向こうに追いやられ、その人にとって最も自然な旋律のみが出てくることになるからである。
良くない旋律にありがちなことは、旋律が不自然であることである。「人工的なもの」は音楽にとって最もあってはならないものである。人を感動させようとするほど、人は感動しなくなるものであるが、それと同様に面白い旋律を作ろうと思って旋律をいじくればいじくるほど、つまらない旋律が出来るものである。面白い曲を作るときに一番必要な感覚は、最も単純な旋律に潜むおもしろさを感じとり、それを引き出すことである。
即興による作曲練習の勘所は、邪念を抱かずに自分にとって最も自然な旋律をつむぎだし続ける状況に自らを追い込むことである。だから一番が終わったから次は一番の反復、などとは考えずに、五分十分ととにかく新しい旋律を作り出し続けるのが大事である。
応用型として、即興で歌を作るということも、気まぐれに私はすることもある。さすがに即興で気の利いた歌詞を思いつくことは出来ないから、詩の品質はかなり適当であり、同語反復も多いが、何とか形にはなっていて、感動的なものを作ることが出来る。歌に関していえば、歌の旋律に使う旋律のパターンは非常に限られていて、それらの基本形(私はそれらを「定型」と呼んでいるが)はすべて頭の中にたたき込まれてるから、それらの限られた定型の中から、適当な詩をのせて歌うのである。
一時期非常に嫌な思い出にさいなまれていたときがあり、そのとき私は即興で悲しい曲を自分の心の中で作り続ける、などということもあった。これは意外に効くものである。作曲に意識を奪われ、なおかつ(自分の作ったものであれ)音楽の与える心地よい気分が非常に私を楽しませてくれた。落ち込んだときに自分を慰めるために作る曲は悲劇的な曲が多いが、胸をえぐるような悲しい曲は、心を慰めてくれるものである。少し気分の落ち込んだときに、音楽に興味のある人はやってみてはどうだろうか。
即興で作曲したものの中には、練習とはいえ非常にいい出来映えのものもあった。すごい盛り上がりを見せ、素晴らしく感動的な曲もたくさんあった。モーツァルトなら暗記して、家に帰った後すぐ譜面にするなどということが出来たであろうし、彼の場合実際にそんな風にして作曲したのであろうが、いかんせん私にはそれほどの記憶力はない。したがって、これはめちゃめちゃ面白い、と気が付いたときにはもう即興曲が始まってから何分も経っていて、なおかつそれらすべてを忘れている、などということは非常によくあった。それらを思い出したためしはない。したがってそれらが私以外の人にとっても面白い曲であったとすれば、そのような価値ある曲は、私が一回聞いたきり、永遠に記憶の彼方へ消え去ってしまったということになる。
リヒャルト・シュトラウスのぐしゃぐしゃの旋律や、ブラームスの無秩序な曲を聞くたびに、彼らはおそらく、即興作曲の練習をしていなかったのだろうと思われる。リヒャルト・シュトラウスやブラームスは、彼らなりに音楽に関してはずば抜けた才能を持っていたのであろうが、才能を持っていてさえ、音楽において成功を収めるのは至難の業である、ということである。このことは昔に限らず、現在の状況にも言えることである(そしておそらく未来に渡っても)。やはりベートーベンの言うように、「人は音楽の王国には、容易には近づけない」のである。