還元論について

 経験と演繹、具体と普遍のどちらが優越するのかに関してはここでは問わない。ここで私が主張するのは、両者のうち普遍が万物を演繹すると考えるならば児童虐待を正当化する子育て論は発生せず、具体が万物を帰納すると考えるならば、児童虐待が正当化されるということである。我々の思考形態は、具体と普遍のような対立をそのままにしておくことを嫌う。我々の思考形態は、あらゆるものは普遍から演繹されるものか、具体から帰納されるものか、どちらかに決定しようとする。どちらかに決定しなければ、一貫性のある、換言すれば普遍的な思想を形成できないからである。従って児童虐待の問題を扱うときに、児童虐待という行動を何をもって説明するかということを決定しなければならない。児童虐待は経験論的人間観、換言すれば具体から帰納された人間観が児童虐待を帰納するというのが本論の結論であるから、この考えに沿って説明することにする。

 「先験的総合判断はいかにして可能か」。カント曰く「ある能力によって」とニーチェは皮肉って言った。様々な哲学者が還元論を説いてきた。それから数百年たつが現在還元論は主流なのだろうか?いまだに社会主義と資本主義の対立は見られるし、われわれ人間の思想が何かひとつの思想に還元されているという状況にもない。児童虐待の原因を探求する過程でも「対立」と「還元」は不可避の命題であった。私の立場は、経験論的世界観であれば児童虐待が起こり、合理論的世界観であれば児童虐待は起こらないという立場である。

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児童虐待の問題の難しさについて

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児童虐待の原因は、人間の思考方法そのものに内在している