経験論的世界観による子育てによってもたされるもの

現代人は子供のことを愚かだと、換言すれば経験論的人間であると考え、そしてそう子供に対して発言し、態度し、経験論的人間であるということを前提に子供に対して対処する。ところで経験論的人間にとって善であることとは短期的利益に則って行動することである。現代人によって経験論的人間であると宣告された子供は、言われたとおりに行動する。つまり短期的利益に則って行動する。具体的には自分のことだけを考えて行動し、自分以外の人間(当然現代人も含む)の存在を軽視し、その言葉を無視し、彼らが大切している物やことを尊重しなかったりする。子供が経験論的人間であるという現代人の考えは、人間とは経験論的存在であるということを前提にしている。そしてこのような前提を子供も理解し、現代人によって育てられた子供は、人間とは経験論的人間であると理解する。人間がすべて経験論的存在であるならば、人間であるところの自分の親も当然経験論的存在であるということになる。経験論的人間とは首尾一貫した思想を持たず短期的利益を追求する存在である。そして経験論的人間がそういう存在であるならば、軽視されて然るべきである。そして、後に述べるが経験論的人間とは、芯のない人間であるがゆえ、他人に影響されなければまともな人生を歩むことが出来ない存在であるという前提を含んでいる。これらの理由により、現代人によって育てられた子供は義務、善行として、自分の親を軽視する。そして子どもによる、現代人を軽視した姿勢を見た現代人は、それが経験論的人間としての本性の発露であると「勘違い(実際には自分がそう仕向けたのであるが)」する。言われたとおりにしているだけの子供の、自己の利益のみを追求し、他人を省みない行動を、現代人は経験論的世界観による行動と解し、それを矯正しようとする。そしてそのような矯正は、経験論的人間観に裏付けられたものであるがゆえ、その強制する態度によって子供は、人間とは自己の利益のみを考える経験論的人間なのだということをさらに深く確信し、自己の利益のみを追求し他人を軽視するようになる。経験論的人間観による子供へのこのような態度、言い換えれば児童虐待はこのような悪循環に陥るのである。

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経験論的世界観について