経験論的世界観について
経験論的世界観にとって世界とは、秩序的であってはならない何かである。例えば、人間がすべて犯罪者のような人間である世界であれば、自分が生き残るために残された唯一かつ最善の生き方は、自分も犯罪者になることである。人間がすべて犯罪者であれば、自分も犯罪者になることが善になる。自分が無能な人間であることが決定的あれば、長期的視野にたって人生設計を立てて学習してゆくなどということは無意味であり、短期的視野にたって目先の利益のみを追求するのが最善の生き方である。世界が無秩序であれば、自分も無秩序に生きることが善になる。また、世界とは関係なく、自分が秩序立ったものを構築する能力がないならば、出来るだけ短期的利益に則って生きることが善になる。世界の無秩序を根拠に、自分も無秩序なことをすること、あるいは、秩序だった物を構築できない自分の能力を根拠に、無秩序なことをすること、これらの行動は世界の無秩序性を増大させる。経験論的世界観は、世界の無秩序性を増大させることが善であるとする。経験論世界観にとって世界とは、秩序的であってはならない何かである。先に述べた、プロ野球の監督がベンチを蹴飛ばす行為、何か嫌なことがあったときに家の壁を殴ったり物を壊したりする行為、あるいは嫉妬心、他人の不幸を祈る心意、行為、殺人者の心理、テロリズム、そして児童虐待もこの経験論的世界観によって演繹されるのである。