児童虐待は、経験論的人間観による
(*私の見方によれば、現代に生きる人間の九割以上が多かれ少なかれ児童虐待をしている。児童虐待をする人間の数がそのように多いという観察に基づき、以後児童虐待をする親のことを「現代人」と呼ぶことにする)
人間の考え方は、大雑把に言って二種類に分けられる。それは合理論と経験論である。経験論的に考えれば、児童虐待が正当化され、合理論的に考えれば児童虐待などしない子育てが正当化される。
合理論とは、具体性と普遍性のうち、普遍性を重視し、あらゆるものは何らかの普遍的なものから演繹されて存在するという考え方である。経験論とは具体性と普遍性のうち、具体性を重視し、あらゆるものは具体的なものから帰納されて存在するという考え方である。
児童虐待は、経験論的人間観に起因する。経験論的であるとは、ものごとは演繹的には存在しないと考えることである。つまり何らかの一本芯の通った普遍的なものがあり、そこから世界や人間の行動なりが演繹されるとは、経験論的人間観は考えていない。一本芯の通った普遍的なものがないということは、芯のない、一貫性のない、偶然的なものが人間、そして人間の行動を支配しているということである。人間の行動がそのようなものであれば、人間という存在は信用するに値しない存在であるということになる。人間の存在がそのようなものであれば、信用するに値しない本性を持ち、かつ経験も判断力も乏しい子供は、最も信用するに値しない存在であるということになる。