虐待によって子供は親のことを経験論的人間であると考える
AがBをXと考えれば、BもAをXと考える。AがBを愚かだと考えれば、BもAのことを愚かだと考える。親が子供を愚かだと考えれば、子供も親を愚かであると考える。子供を虐待する親は、その態度によって必然的に子供は愚かであると子供に対して言ったり態度に出したりすることになり、それによって子供の方もまた現代人のことを愚かであると考えるようになる。
一度きりの虐待的行動が引き起こすのではないが、何ヶ月何年もの虐待的行動が累積すると、子供は現代人に対して次のように考えるようになる。「この人(現代人は)は、他人の考えを尊重しない利己的な人間であり、あらゆることを自分の責任として捉えない、責任感のない人間であり、様々なことに対して、それに対する準備が出来ていず、問題が起こってから対処する場当たり的な人間であり、自分も間違いを起こすことがあるにもかかわらず他人の間違いを許容しない、包容力のない、自己中心的な人間である」、と。人間の物の考え方は要するに具体性を重視する経験論か、普遍性を重視する合理論か、このふたつの考え方のどちらかに分類される。現代人が利己的であり自己中心的な人間であるという考えは、要するに現代人が経験論者であるということである。そして虐待によって子供は、現代人は経験論的人間であり、首尾一貫した思想のない場当たり的な人間であると最終的には考えるようになる。
このようにして、長い期間に渡る虐待により現代人は経験論的人間であると結論した子供は、現代人の考えや行動を軽視するようになる。具体的には、現代人の言う事に説得力を感じなくなり、言う事を聞かなくなり、また例えば現代人の大切にしている物を尊重しなくなったりする。このような軽視は、ほとんど意図せずになされる。無視しようとして現代人の存在を無視するのではなく、ごく自然に、子供は現代人のことがどうでもよくなるのである。AがBをXと考えれば、BもAをXと考える。AがBを愚かだと考えれば、BもAのことを愚かだと考える。親が子供を愚かだと考えれば、子供も親を愚かであると考えるのである。
そしてこのように血となり肉となった、現代人の存在に対する子供の軽視が現代人の怒りを買い、さらに虐待がエスカレートしそれによってまた子供が現代人を軽視するようになるという悪循環に陥るのである。